教師は、体育的行事では子どもたちを励まし、文化的行事では褒めるようする。そして教師が楽しそうに取り組むことで、子どもたちは大きく成長する。
学校行事は子どもたちを成長させるとてもよい機会です。そのため私は学級を担任するようになってからしばらく、行事といえば何でもなりふりかまわず「負けるな、がんばれ」と子どもたちを頑張らせていました。
その頃は勝ち負けが学級の良し悪しにつながると思っていたところもあり、強引な指導で子どもたちに無理をさせたと思います。 それでも子どもたちは一生懸命応えてくれたので、優勝などもでき子どもたちにとっても私にとってもいい思い出になりました。
しかし教師の経験を重ねるうちに、学校行事の種類によって子どもたちが得る感覚に違いがあることに気づいたのです。
言葉にするとうまく言えないのですが、運動会や体育祭などの体育的行事では「友達と心をひとつにして何かを乗り越えた感覚」、学芸会や合唱祭などの文化的行事では「友達と心をひとつにして何かをつくりあげた感覚」というようなものです。どちらも子どもたちを成長させるものですが、「乗り越える」と「つくりあげる」では、ゴールへ行きつくまでの過程は違うと思ったのです。
私は学級担任としてどうしても「友達と心をひとつにする」、つまり協力や協調ということをもっとも重要に考えてしまいがちだったので、その部分さえうまくいけば行事は成功したと考えていました。
それはそれで間違いではないと思いますが、体育的行事と文化的行事から得る感覚の違いに気づいてからは、「心をひとつ」にするための教師の取組にも違いがなくてはならないと考えるようになったのです。
それからというものは体育的行事のような「乗り越える」感覚を得る時、例えば体育祭などでは、練習から本番当日まで、「がんばれ」、「大丈夫まだやれる」、「君ががんばっているからみんなもがんばれる」など励ます言葉をたくさんかけるようにしました。
そしてその日に誰がどのようにがんばったかということを具体的に子どもたちに伝えて称えるようにしました。例えば大きな声で応援していた、明るく元気に取り組んでいた、どんなことでも嫌な顔をせずがんばっていたなど、誰でもできることを取り上げるようにしました。
一方、文化的行事のような「つくりあげる」感覚を得る時、例えば合唱祭などでは、ひたすら褒めるようにしました。もちろんいい加減な態度で練習をした時などは注意しましたが、それ以外は子どもたちの合唱をじっと聞き、最後に、「とてもよかった」、「感動した」、「幸せな気分になった」など、子どもたちのがんばりを教師が喜んでいることが伝わるような穏やかで優しい気持ちになる言葉をかけるようにしました。
さらにどの行事でも、教師である私自身が、「行事は楽しい」、「君たちと一緒に取り組めて楽しい」というオーラ全開で取り組みました。
その結果、その後担任したほとんどの学級で、どの行事もとても充実したものとなり、子どもたちは互いを認め合い助け合うようになりました。
体育祭や合唱祭を学校行事としてひとくくりにしてしまえば、子どもたちが協力して取り組み学級がまとまることで、よい行事だったと言えるかもしれません。
しかし教師は、いろいろな行事の目的や目標の違いを把握し、その達成に向けて子どもたちが「ひとつにまとまる」ための取組を考えなくてはいけないと思います。
体育的行事では、肩を組むようなまとまり
文化的行事では、手をつなぐようなまとまり
そのようなことを子どもたちに感じてほしいと思います。
その頃は勝ち負けが学級の良し悪しにつながると思っていたところもあり、強引な指導で子どもたちに無理をさせたと思います。 それでも子どもたちは一生懸命応えてくれたので、優勝などもでき子どもたちにとっても私にとってもいい思い出になりました。
しかし教師の経験を重ねるうちに、学校行事の種類によって子どもたちが得る感覚に違いがあることに気づいたのです。
言葉にするとうまく言えないのですが、運動会や体育祭などの体育的行事では「友達と心をひとつにして何かを乗り越えた感覚」、学芸会や合唱祭などの文化的行事では「友達と心をひとつにして何かをつくりあげた感覚」というようなものです。どちらも子どもたちを成長させるものですが、「乗り越える」と「つくりあげる」では、ゴールへ行きつくまでの過程は違うと思ったのです。
私は学級担任としてどうしても「友達と心をひとつにする」、つまり協力や協調ということをもっとも重要に考えてしまいがちだったので、その部分さえうまくいけば行事は成功したと考えていました。
それはそれで間違いではないと思いますが、体育的行事と文化的行事から得る感覚の違いに気づいてからは、「心をひとつ」にするための教師の取組にも違いがなくてはならないと考えるようになったのです。
それからというものは体育的行事のような「乗り越える」感覚を得る時、例えば体育祭などでは、練習から本番当日まで、「がんばれ」、「大丈夫まだやれる」、「君ががんばっているからみんなもがんばれる」など励ます言葉をたくさんかけるようにしました。
そしてその日に誰がどのようにがんばったかということを具体的に子どもたちに伝えて称えるようにしました。例えば大きな声で応援していた、明るく元気に取り組んでいた、どんなことでも嫌な顔をせずがんばっていたなど、誰でもできることを取り上げるようにしました。
一方、文化的行事のような「つくりあげる」感覚を得る時、例えば合唱祭などでは、ひたすら褒めるようにしました。もちろんいい加減な態度で練習をした時などは注意しましたが、それ以外は子どもたちの合唱をじっと聞き、最後に、「とてもよかった」、「感動した」、「幸せな気分になった」など、子どもたちのがんばりを教師が喜んでいることが伝わるような穏やかで優しい気持ちになる言葉をかけるようにしました。
さらにどの行事でも、教師である私自身が、「行事は楽しい」、「君たちと一緒に取り組めて楽しい」というオーラ全開で取り組みました。
その結果、その後担任したほとんどの学級で、どの行事もとても充実したものとなり、子どもたちは互いを認め合い助け合うようになりました。
体育祭や合唱祭を学校行事としてひとくくりにしてしまえば、子どもたちが協力して取り組み学級がまとまることで、よい行事だったと言えるかもしれません。
しかし教師は、いろいろな行事の目的や目標の違いを把握し、その達成に向けて子どもたちが「ひとつにまとまる」ための取組を考えなくてはいけないと思います。
体育的行事では、肩を組むようなまとまり
文化的行事では、手をつなぐようなまとまり
そのようなことを子どもたちに感じてほしいと思います。