子どもが不登校になったら、先に生まれた者(先生)としてその子どもに必要なことを考える。そのような教師の姿勢が、子どもを支える力となる。
そのうちの2人は前年度までは不登校ではなかったのですが、私の学級になってから不登校になりました。この時の私はまだ担任になって2~4年の頃だったと思います。
あとの4人は前年度もしくはそれ以前から不登校であった子どもでした。この時は担任としてある程度経験を積んで中堅と呼ばれるようになっていた頃でした。
私の学級になってから不登校になった2人の子どもの時は、登校拒否という言葉が世の中に出始めた頃で、学校に来ないのはよくないことと考えられていました。そのためとにかく学校へ来させなければと必死でした。しかし最後まで学校へ来ませんでした。
前年度もしくはそれ以前から不登校であった4人の子どもの時は、ある程度登校拒否という現象が理解されるようになってはいましたが、そのような子どもにとっては現在に比べるとまだまだ厳しい目が向けられていたと思います。
この4人のうちの1人は登校したりしなかったりという状況は改善しませんでしたが、3人はその年度の3学期から登校するようになりました。
登校するようになった3人と登校しなかった3人には、表のような違いがあったような気がします。
登校しなかった | 登校するようになった | |
教師の考え方 | 何とか学校へ来させたいと考えていた。 | 学校へ来させることを目的とせず、社会へ出ても困らないようにしたいと考えていた |
教師の対応のしかた | 年度の始めはできるだけ家庭訪問や電話をした。しかし子どもや保護者の反応があまりよくなかったこともあり、大事な用事がある時以外は電話ですませるようになってしまった。 | 子どもの様子を考慮しながらできるだけ家庭訪問や電話をした。長期休暇の時も同様にした。会ってくれない時があっても同じように連絡を取り続けた。 |
子どもの様子 | 自分の気持ちを話さない。こちらの問いかけなどにもはっきり答えない。 | 教師に会ってくれない時期もあったが、話をすると自分の気持ちを聞けた。 |
保護者の様子 | 子どもを注意できず言いなりになっていた。教師の対応が迷惑そうだった。 | 教師の子どもへの対応を感謝しフォローしてくれた。 |
登校しなかったケースでは、私も保護者も年度のはじめのうちはがんばって子どもに働きかけていました。しかし何をやっても子どもの反応が悪く、子どもが保護者に反発することもありました。そのうち保護者が子どもを腫れ物に触るような扱いをするようになり、私が子どもに関わることが迷惑そうになりました。そのため私の対応も消極的になりました。
登校するようになったケースでは、最後まで親も私も粘り強く子どもにかかわろうとしました。子どもがどんな態度であろうと、こちらがどんなに忙しくても、必ず一週間のうちの何日かは家庭訪問や電話連絡をしました。子どもが私を避けるときもありましたが、そのようなときでも家庭訪問や電話連絡は続けました。ただ無理やり会ったり電話に出してもらったりはしませんでした。
保護者も同じように子どもの様子にかかわらず、私が家に来たことや電話をしてきたことを必ず子どもに伝えてくれました。さらに子どもに対して、「先生はいつもあなたのことを気にかけてくれていてありがたい」と言い続けてくれ、私が子どもにかかわることをフォローしてくれました。
登校するようになった子どもと話をするときに私が意識していたことは、教師として話をするのではなく先生(先に生まれた者)として話をするようにしたことです。子どもとは家庭訪問や電話で次のようなことを話しました。
学校の出来事や学級の様子を話しました。登校できるようになったときのために少しでも知っておいてほしいということと、学級への所属感を持たせたかったからです。
私が大人になるまでに経験した楽しいことや失敗したことを話しました。これからの人生には、楽しいことがたくさん待っているということを伝えたかったからです。
「今」や「大人になったら」やりたいことは何かを聞くようにしました。答えは返ってこないことが多かったですが、どんな小さなことでも希望や楽しみを持つことで明るく元気に暮らせると思うからです。
私は日頃から子どもと保護者に、学校へ来ることよりも学校を出た後に困らないようにしたいと伝えていました。ですから学校以外の相談機関など、子どもがやりたいことを見つけるきっかけになったり、居場所やためになったりすると思える所はどんどん勧めましたし、子どもが落ち込んだり不安定なときは医療機関を勧めたりもしました。
子どもも保護者も、私の意図は学校へ来させることではなく、子どもにとってプラスになることを見つることだと理解してくれていたので、私が勧めることに対して頭から拒否することはなく、とりあえず受け止めてよく考えたうえでYES・NOを決めてくれました。ただ、私が勧めたことのほとんどを子どもはできませんでした。考えた末に断ってきたり、一度はやってみると言ったものの直前になってやめたりすることが多かったです。
子どもは出来ないとがっかりしたり落ち込んだりするのですが、私としてはそんなことは気にせず、明るく元気に次に出来そうなことを考えて勧めました。
結果的には、出来てもできなくても何かをするためにどうするかを考えるということが、子どもにとってとても意味があったのではないかと思います。
登校できるようになった子どもたちへの対応で、共通していたと考えられることは次のことです。
(1)先生(先に生まれた者)としてかかわり続ける
(2)子どもが大人になってから困らないようにと考える
(3)子どもの保護者の理解と協力を得る
教師にとっては(1)がもっとも大変だと思います。できるだけつながりを持ち続けるには、家庭訪問や電話連絡を頻繁にすることになります。私も家庭訪問で夜遅くなったり、休日に子どもの家の近くを通りかかれば寄ったりしました。このようなことをやり続けるのは本当に大変でした。ですから同僚や後輩には、同じようにすることを勧めませんでした。でも常にかかわろうとすると必ず効果が出てきます。
(2)(3)は、教師の考え方や姿勢ですので誰もができると思います。ちょっとしたことですが、これだけでも効果はあると思います。
表からわかるように、登校できなかった子どもたちは自分の気持ちを教師へ伝えることはありませんでした。これは、教師や保護者の考え方や子どもへのかかわり方にも問題があったのかもしれません。
登校できるようになった子どもたちは、彼らにとってプラスになると思えることを勧めることを繰り返すうちに、答えは見つかっていないけれど、とりあえず今は学校へ行くということを選んだようでした。
登校できるようになった子どもに聞いたことがあります。
「なぜ学校に来なくなったの?」
「よくわからない」
「なぜ学校に来るようになったの?」
「よくわからないけれど、学校を休むと先生がいつも連絡をくれたり、いろいろな居場所を考えてくれたり、背中を押してくれたりしたからかもしれない」
不登校を改善する確実な方法はありません。子どもの背景にあるものやその時の状況により対応のしかたは様々です。例えばいじめが原因なら学校に来ないほうが良い場合もあります。
このブログは、あくまでも私の経験から考えたことを書かせていただいております。どの子どもにもあてはまることではないことをご承知おきください。
私の経験が皆さんにとって、少しでもヒントになれば幸いです。