子どもの悪いところを注意したり出来ていないことを指摘したりすることは誰にでもできる。子どもの良いところや成長したところ、可能性などを、学校生活の中から見つけ出して子どもに教えるのは、教師にしかできない。
教師にとって、子どもの悪いところは目につきやすいものです。それを見て見ぬふりをするのは子どもにとって良くないので注意します。ただ多くの子どもを相手にしているため、もぐらたたきのように注意をすることに追われてしまうこともあります。
そのような日々の中で、教師は子どもの良い所に目を向けることを忘れてしまいがちです。その結果、子どもの悪いところを直すことが、子どもを成長させることであると考えてしまう教師がいます。
私も若い頃は、社会に出て困らないように、人に迷惑をかけずしっかりと生きていけるようにと、子どもの悪いと思える部分を直そうと指導していました。
ある時、高校入試に向けて学級の子どもたちに面接練習をしていました。その時ふと気づいたのです。
子どもたちは、自分の短所についてはたくさん、しかも具体的に説明することができます。しかし、長所だと抽象的で当たり前のことしか言えないのです。
それまではあまり気にしていなかったのですが、振返ってみると日々の学校生活の中で、子どもたちに良い所や成長している部分を伝えるよりも、悪い所や直してほしいことを注意していることのほうがはるかに多かったのです。
自分の悪いところというのは、人に言われなくても自分でよくわかっているものです。一方、自分の良いところというのは、なかなか自分ではわからないものかもしれません。
そのように考えるようになってからは、子どもの良いところや成長した部分を、できるだけ具体的に根拠をあげて伝えるように努力しました。
厳しい社会を生き抜いていくために子どもを支えるのは、その子の良いところだと思います。教師は、子どもの悪いところを直すことより、子どもにその子の良いところを教えて伸ばすことに力を注ぐべきです。
そのような日々の中で、教師は子どもの良い所に目を向けることを忘れてしまいがちです。その結果、子どもの悪いところを直すことが、子どもを成長させることであると考えてしまう教師がいます。
私も若い頃は、社会に出て困らないように、人に迷惑をかけずしっかりと生きていけるようにと、子どもの悪いと思える部分を直そうと指導していました。
ある時、高校入試に向けて学級の子どもたちに面接練習をしていました。その時ふと気づいたのです。
子どもたちは、自分の短所についてはたくさん、しかも具体的に説明することができます。しかし、長所だと抽象的で当たり前のことしか言えないのです。
それまではあまり気にしていなかったのですが、振返ってみると日々の学校生活の中で、子どもたちに良い所や成長している部分を伝えるよりも、悪い所や直してほしいことを注意していることのほうがはるかに多かったのです。
自分の悪いところというのは、人に言われなくても自分でよくわかっているものです。一方、自分の良いところというのは、なかなか自分ではわからないものかもしれません。
そのように考えるようになってからは、子どもの良いところや成長した部分を、できるだけ具体的に根拠をあげて伝えるように努力しました。
厳しい社会を生き抜いていくために子どもを支えるのは、その子の良いところだと思います。教師は、子どもの悪いところを直すことより、子どもにその子の良いところを教えて伸ばすことに力を注ぐべきです。