子どもの心の中で最も大きな割合を占めるのは、善にも悪にもなるグレーの部分である。これをホワイトに近づけるのも教師の仕事のひとつである。
また、今までの私の経験から行き着いた私個人の考え方ですので、理解できなかったり違うと思ったりしたら忘れてください。
私としては、学級経営や子どもの指導に少しは役立つのではないかと思い書くのですが、人それぞれ価値観や感性が違うので、役立つかどうかは保証できませんので・・・。
私は今までの経験から、子どもの心の中は、善(ホワイト)の部分が4分の1、悪(ブラック)の部分が4分の1だと思うようになりました。
残りの4分2、つまり半分は、善(ホワイト)にも悪(ブラック)にもなるグレーな部分です。
こんなイメージですかね。

このグレーの部分にどのように働きかけるかによって、子どもをできるだけよりよい方向に導くかが、教師の仕事のひとつであると私は思っています。
もちろん最初から悪(ブラック)の部分が心の大部分を占めていて、善(ホワイト)の部分もグレーの部分もほとんどないような子どももいるかもしれません。
多くの教師は子どもの心の半分であるグレーの部分には目を向けず、わずか4分の1の善(ホワイト)の部分と、4分の1の悪(ブラック)の部分だけで、子どもの良し悪しを判断したり、悪(ブラック)の部分を何とかしようと四苦八苦したり、うまくいかないと右往左往したりしてしまいます。
そのような教師の姿は、いつも教師に反抗したり学校生活を荒らそうと考えたりする悪(ブラック)の部分が大きな子どもの思うつぼとなり、いじめや学級崩壊などにつながってしまうことがあります。
ですから教師には、グレーの部分を善(ホワイト)に近づける方が、子どもにとってよっぽど有益であるとともに、教師にとってもやりがいがあることに気付いて、明るく元気にグレーを善(ホワイト)になるような取組をしたほうがよいのです。
そのような教師の取組は、結果的に悪(ブラック)の部分が大きい子どもにつけ入る隙を与えず、ホワイトの子どもを強くしたり、グレーの子どもをホワイトに近づけたりすることになり、集団の質や力を高めます。
例えば4月の学級が新しくなったばかりの頃、清掃で黒板をいつもきれいにしてくれる子どもがいるとします。
A先生は、「〇〇さんは、いつもひとりで黒板をきれいにしてくれるいい子です」と言います。
B先生は、「まだわかりませんが、〇〇さんはトラブルに巻き込まれやすいかもしれません」と言います。
私はB先生の考え方に賛成です。
黒板そうじというのは、「あまり力を使うことや汚い作業がなく、人との共同作業が必要ないため自分のペースでやりたいようにでき、しかもきれいなったことが一目瞭然なのでほめられやすい」という、ある意味心のグレーの部分でする作業にもなります。
ほとんどの子どもは、みんなが気持ちよく勉強できるようにと、心のホワイトの部分でそうじをしていると思います。
しかし、もし〇〇さんがグレーの部分で黒板そうじをしていたとして、教師が目に見える部分だけで〇〇さんをよくやっているとほめ続けたとします。
すると、子どもというのはグレーな部分を敏感に感じ取りますので、〇〇さんをずるいと思ったり、自分も楽な仕事をしてほめられたいと思ったりするようになり、〇〇さんに対するいじめやトラブルにつながってしまう危険性があります。
教師は、子どものグレーの部分を感じられるようにならないと指導を間違ってしまうことがあります。
グレーの部分への働きかけ方は千差万別で、その時の状況や子どもによって違います。これだという正解はありません。
ただし、グレーではなく本当にホワイトだったり、本当はブラックだったりというような見立て違いに気づいたら、教師はすぐに自分の指導を修正すべきです。自分の見立てにこだわってはいけません。
教師には、日頃から子どものグレーな部分を感じ取る感覚を磨いておくことと、自分のこだわりを捨てて素早く考えや対応を改めるという柔軟な姿勢が必要です。
さて、〇〇さんのグレーな部分に気づいたB先生は、次の日から黒板そうじを他の子にも順番でやらせるようにします。
これは、教師としての集団を公平に成長させようとする気配りと、具体的な指導です。
そして、明るく元気にこう言います。
「そうじの仕方は〇〇さんに教えてもらいなさい。〇〇さんが一番上手だから。」
これは、〇〇さん個人をグレーからホワイトにするための教師の気遣いと、具体的な支援です。
子どもにとって心のグレーの部分は、成長につながるとても大切な部分です。